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空中秘密基地 2

映画や本の感想が中心です。当然ですが僕の主観と偏見で書いてます😁

思い出せば、かけがえのない日々

『エブリバディ ウォンツ サム‼︎ 世界は僕らの手の中に』(監督:リチャード・リンクレイター / アメリカ 115分)

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【あらすじ】
野球推薦で入学することになった新入生のジェイク(ブレイク・ジェナー)は期待と不安を抱き、大人への一歩を不器用に踏み出そうとしていた。そう、今日は野球部の入寮の日だ。お気に入りのレコードを抱え、ジェイクが野球部の寮に着くと、4年生のマクレイノルズ(タイラー・ホークリン)とルームメイトのローパー(ライアン・グスマン)から、好意的とはいえない歓迎を受ける。高校時代、イケイケのスター選手だったジェイクに対する先輩方の洗礼だった。しかも寮生活をしている先輩方は野球エリートとは思えない風変わりな奴ばかり……。(公式サイトより)

前作『6歳のボクが、大人になるまで。』(2014)では少年の成長とその家族の物語を、実際に12年間の歳月を費やして撮影したリチャード・リンクレイター監督の新作。今度は大学入学直前の3日間を描く。

とても眩しいキラキラした青春映画でありました。登場人物がとても多いのに、それぞれが個性的に描き分けられていて、リンクレイター監督らしい、とても丁寧な作品。

アメリカの青春映画では卒業までの数日間やプロムまでの様子を描いたものは多い。でもこの作品は大学入学を3日後に控えた青年の話です。この設定は新しいね。しかも主人公たちは「ジョックス」、つまりイケてるヤツらなわけですよ。これも今まであまり観たことがない。彼らは野球部の選手で大学のスターだ。すぐに友達ができ、連夜のパーティーがあって、さらに恋人まで作ってしまう。こんな奴らが実際に側にいたら、速攻で大っっっキライになるけど、映画として観た時、彼らの立ち位置が作品世界をより輝くものにしてくれる。車で女の子をナンパしに行く時、カーステレオから流れる‘Rapper's Delight’をみんなでラップするシーンの多幸感ったら、この上ないのだ。

リチャード・リンクレイター監督は、一瞬を切り取るのが本当に上手い。それは20年間にわたって撮り続けている『ビフォア』シリーズでも、ひとりの少年が6歳から18歳になる12年間を実際に12年間かけて撮った『6歳のボクが、大人になるまで。』でも、そしてたった3日間の話である今作でも変わることがない。それは何事も起こらない日常だけど、そこに生きている者にとってはかけがえのない何かなのだということを鮮明にする。

劇中ではTHE KNACKの‘My Sharona’から始まり、BlondieやCHIC、Van Halenなどの1980年に世界中で流れていた音楽が、これでもか!って感じで聴こえてくる。そしてふとした拍子に訪れる静寂。この緩急が心地よいのです。

僕の大学生活はこの映画みたいな感じじゃなかったけど、それでも何か懐かしさを感じる。それがこの映画の魅力だと思うのです。

Rock’n Roll is a risk. You risk being ridiculed!

『シング・ストリート 未来へのうた』(監督:ジョン・カーニー / アイルランド 106分)

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【あらすじ】
大不況にあえぐ85年のアイルランド、ダブリン。14歳の少年コナーは、父親が失業したために荒れた公立校に転校させられてしまう。さらに家では両親のケンカが絶えず、家庭は崩壊の危機に陥っていた。最悪な日々を送るコナーにとって唯一の楽しみは、音楽マニアの兄と一緒に隣国ロンドンのミュージックビデオをテレビで見ること。そんなある日、街で見かけた少女ラフィナの大人びた魅力に心を奪われたコナーは、自分のバンドのPVに出演しないかとラフィナを誘ってしまう。慌ててバンドを結成したコナーは、ロンドンの音楽シーンを驚かせるPVを作るべく猛特訓を開始するが……。(映画.comより)

ONCE ダブリンの街角で』(2007)、『はじまりのうた』(2013)に続くジョン・カーニー監督の新作。『はじまりのうた』は僕の生涯ベスト10に入る作品だったので、期待値を目いっぱい上げて映画館に行ったのです。あまりにもツボすぎて、ドハマリしてしまいました!

この作品は監督のジョン・カーニーの伝記的な話なんだけど、ジョン・カーニーさんや主人公は僕とほぼ同世代。主人公が1985年に15歳だから、僕は1歳上の16でしたね〜。今でこそ昔からザ・バンドとかビーチ・ボーイズとかフォーシーズンズetc…とかを聴いてたような顔をしてるけど、始まりはデュラン・デュランだったりする訳です。当時はちょうどMTVとかが流行りだした頃で、映画の中でも主人公の兄弟がデュラン・デュランRio」がかかるとテレビの前に飛んでくるというシーンがあるのですが、僕もまさにあんな感じだったよなぁ〜と記憶が蘇ってきたりして、「あ〜これは僕の話だ」ってなってしまったのでありますよ。

ONCE ダブリンの街角で』と『はじまりのうた』では主人公がちゃんとスキルのあるミュージシャンだったんだけど、『シング・ストリート』では主人公たちは全員がティーンエイジャーでほぼゼロからバンドを始める。この設定がとても良い。アマチュアであるが故に初期衝動から音楽へと向かう喜びがとらえられている。彼らがバンドとして音を出す瞬間、作品全体が瑞々しく、新鮮さに満ちたものとしてスクリーンに現れてくる。こういうシーンを描かせたらジョン・カーニーという監督は本当に上手い。『はじまりのうた』では、グレタ(キーラ・ナイトレイ)がライブハウスで弾き語りで歌い出すと、たまたまそこに居合わせた落ちぶれたプロデューサーのダンマーク・ラファロ)には様々な楽器が重なって聴こえる(見える)。


『シング・ストリート』では「UP」という曲を作る時、最初は主人公のコナーといろんな楽器が弾けるエイモンの二人で作り始めるんだけど、カメラが動いていくと、「ここでキーボードを入れたらいいね」ってところでキーボードの黒人の男の子がいたりして、時間もいつの間にか夜から昼に変わっていてバンドの演奏になっている。音がだんだんと分厚くなっていく高揚感がたまらなく心地よいのです。

コナーが新しいミュージシャンを知ると、すぐそれ風の曲を作ったり、ファッションを真似る展開も最高ですよ。だって10代ってそういうものでしょ!そもそもバンドの最初のオリジナル曲「The Riddle of the Model(モデルの謎)」はモロにデュラン・デュランというかニュー・ロマンティック・ブームの影響を受けてるしね。MVも「初心者が頑張って作ったみたいだけど、センスもあって面白い」というバランスが上手い!と思っちゃいますよ。

「Drive It Like You Stole It」はこの映画の中でいちばん好きな曲。これだってホール・アンド・オーツの「Maneater」を聴いて、すぐに「Maneater」風のビートとベースで曲を作ってる。この軽いところが微笑ましい。

このシーンは、コナーの思い描く理想と現実のギャップがハッキリと示されるシーンで、この作品のクライマックスのひとつ。音楽が流れている間は世界は調和に満ちているんだけど、音楽が終わると同時に、主人公は現実へと引き戻されてしまう。この理想と現実の乖離というモチーフは、この作品の底を一貫して流れているもので、それこそラストシーンも含めて、ただの前途洋々たるハッピーエンド……なのか?っていうところに落とし込んでいるあたりが、ジョン・カーニーは絶妙だな!って思うのです。

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バンドのメンバーを演じているのは演技初経験の人が多かったり、有名な役者さんは一人も出ていない。そんなキャスティングの中でも特に印象に残ったのはコナーのお兄さん役のジャック・レイナーさんでしたよ。彼がお母さんの背中を見つめて語るシーンとか、「どんなことでも天職さ」と言うシーンは本当に良かったですね。お兄ちゃんはコナーの全てを肯定してロンドンへ送り出してくれる。時代は違うけど同じアイルランドを舞台にした『ブルックリン』でもお姉さんはありったけの愛情を注いで妹をニュー・ヨークに送り出す。末っ子ってのは自由なものだけど、それを支えてくれる人がいるんですよね〜。僕だって'80UKロックを聴くようになったのは、姉弟のように育った従姉妹に付き合ってMTVを観てたからだったことを思い出したりして、しみじみしちゃいましたよ。

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ナイーブな少年が成長する物語であり、社会的に不遇な立場にある少年少女たちがポジティブにあがく話。ジョン・カーニー監督はそういうストーリーを音楽のプラスの面を信じて、積極的なものとして描いていく。彼は音楽を両手で持つ人だなぁ〜と思うのです。

間違いなく『シング・ストリート』は音楽を題材にした青春映画の新しい傑作として記憶される作品です。登場人物たちの将来は必ずしも明るいばかりのものではないかもしれない。でもかってそうであった者として、僕は彼らを全力で肯定したい。

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この素晴らしき世界

ファインディング・ドリー(監督:アンドリュー・スタントン / アメリカ 97分)

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【あらすじ】
カクレクマノミのマーリンが、ナンヨウハギのドリーと共に愛する息子のニモを人間の世界から救出した冒険から1年。3匹は平穏な日々を過ごしていたが、ある晩、ドリーは忘れていた両親との思い出を夢に見る。昔のことはおろか、ついさっき起きたことも忘れてしまう忘れん坊のドリーだが、この夢をきっかけに、忘れてしまったはずの両親を探すことを決意。「カリフォルニア州モロ・ベイの宝石」という唯一の手がかりから、人間たちが海の生物を保護している施設・海洋生物研究所に、両親やドリーの出生の秘密があるとを突き止めるが……。(映画.comより)

「いいところもあるけど、受け付けない部分もあった」映画でしたよ。とすごく普通の感想を書いてますけど……。まあピクサー作品だからクオリティは確かだし、ドリーの両親がドリーを思う気持ちにはしっかりと涙したのです。でもなんだかなぁ〜ってなったのも事実ではあるのです。

登場人物(いや、登場魚か⁉︎)は当然のことだけど、水の無いところは移動できない訳ですよ。たった数メートル先なのにどうにもならない。さてどうする?ってところが前作『ファインディング・ニモ』では面白かったんだけど、本作ではご都合主義の連発にしか見えなかった。タコのハンクの万能ぶりとか、魚に操られて何処にでも行ってくれる鳥のベッキーとかね。ラストのアクションだって「どうしてそうなるの?」という理屈の説明が雑だから、あんまりハラハラしなかった。

あと水族館に行くことを強く望むハンクをドリーが「狭い研究所ではなく外の世界のほうが幸せ」だとずっと説得するんだけど、僕は「別にそういう生き方も『アリ』なんじゃないの?」と思っちゃったんです。「そういう幸せもあるよね」っていう描写があると良かったなぁ〜。

不満なところばかり書いてきたけど、CGのクオリティは素晴らしいし、ドリーの家族の描写はとっても感動的だった!ドリーが言っていた「人生でいちばん素敵なことは、偶然起こるのよ」ってセリフもウンウンとうなづくばかりです。

また「障がいを持つキャラクターを主人公にする」というコンセプトは良いと思いましたね。本作のキャラクターは、ほとんどが何かしらの障がいを持っています。ドリーは「短期記憶障がい(short-term memory loss)」で少し前のことも忘れてしまう。タコのハンクは足が7本しかない。ジンベイザメのデスティニーは近視だし、シロイルカのベイリーは頭をぶつけた影響でエコロケーションが使えなくなった(と思い込んでいる)。そもそもニモも生まれつき片方のヒレが小さいせいで上手く泳げないんでしたね。特にハンクがどうして7本足になったのかという理由を描かないのは、ウマイ!と思っちゃいましたね。何でもかんでも説明すれば良いってもんじゃないのです。

彼らの「障がい」を「個性」として描いていくのはいいなぁ〜と思う。でもその描き方がちょっとストレートだったかな?同じディズニー・ピクサー作品である『ズートピア』では、「偏見を持つことの愚かさ」を表には出さず、極上のエンターテイメントとして描いていたのと比べるとね。でもピクサーの制作陣がそんなことに気づかないとは思えないんです。今、世界を見渡せば、アメリカやヨーロッパでは「差別したっていいじゃないか!」と大きな声で言い出す奴が増えたり(あまつさえ大統領候補になったり)、日本では「社会のために障がい者はいなくなるべきなんだ」と言って殺人を犯す奴が現れる世の中です。もうオブラートに包んでいる場合じゃないんだという彼らの声が聞こえてくるような気もするのです(考えすぎかも?ですけどね)。

クライマックスのシーンで流れるのは、ルイ・アームストロングの‘What a Wonderful World’。こんな世界になると良いですなぁ〜。

エンドロールは‘Unfogettable’です。日本語版では八代亜紀さんが歌ってます!

地獄はそこにある

『葛城事件』(監督:赤堀雅秋 / 日本 120分)

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【あらすじ】
親が始めた金物屋を継いだ葛城清は、美しい妻・伸子と共に2人の息子を育て、念願のマイホームも建てて理想の家庭を築き上げたはずだった。しかし、清の強い思いは知らず知らずのうちに家族を抑圧し、支配するようになっていた。長男の保は従順だが対人関係に悩み、会社をリストラされたことも言い出せない。そして、アルバイトが長続きしないことを清に責められ、理不尽な思いを募らせてきた次男の稔は、ある日突然、8人を殺傷する無差別殺人事件を起こす。死刑判決を受けた稔は、死刑制度反対を訴える女・星野が稔と獄中結婚することになるが……。(映画.comより)

物語はどこにでもあるような一軒家を映し出して始まります。でも、どこかおかしい。壁には「人殺し」、「死ね」、「出てけ」、「呪 呪」、「死刑」などと誹謗中傷の文字が落書きされている。そして「バラが咲いた」の歌を口ずさみながら落書きを消す一人の男。劇作家でもある赤堀雅秋監督が自身の舞台を実写映画化した作品。舞台は「附属池田小事件」をベースにした「サイコパスの身内を持ってしまった家族の悲劇」を描いたものだったそうなんですが、映画では「土浦連続殺傷事件」や「秋葉原通り魔事件」、「池袋通り魔殺人事件」などの事件を参考にして、さらに「黒子のバスケ」脅迫事件の要素をプラスして、より普遍性がある作品になっています。僕はこの作品を観た直後に相模原の事件を知り、本当に真っ暗な気分になりました。

誰だって家族のことを無条件に全て好きなわけじゃない。というより、ずーっと家族で暮らしていると、親や兄弟の「嫌な部分」も知ってしまうものだと思うんですよ。でも僕たちは友達を作ったり、恋愛したり、結婚したりして、外の世界と接点を持ちながら、折り合いをつけて生きていくんです。でもその「嫌な部分」が何かのきっかけで昇華されずにいたら……。そこには地獄へ続く悪循環が待っている。そしてその「地獄への悪循環は決して他人事じゃないんだ」ってことを、この映画は丁寧に丁寧に描いていく。

物語は次男である稔が無差別連続殺傷事件を起こした後の葛城家とその周辺を描きながら、「事件が起きる前」を挟み込み、この事件がなぜ起こったのか?を僕たちに見せながら進んでいきます。その過程がホントによくある光景の積み重ねだからキツイんです。劇中にも描かれますけど、最初はそりゃ幸せそうな家族なんですよ。それが南果歩さんが演じる葛城家のお母さんが吐き出すように言うなんで、ここまで来ちゃったんだろう」っていう状況になっちゃう。でもよく考えてみると、その幸せそうなシーンの中にも歪みのようなものがほんの少しだけど描かれている。

その歪みを大きくさせているのは、間違いなく三浦友和さんが演じている父親(三浦さんはとんでもなく素晴らしいのです。彼のベストアクトなんじゃないかな?)なのです。「単に親が営んでいた金物屋を継いだけの自分」にコンプレックスを持っていて、それがゆえに虚勢を張ってしまい、家族に高圧的な態度をとる。家族の方もそれを受け入れてしまい、当たり前のこととしてしまう。それは観客も同じで、だから長男である保が「金物屋で父がいつもいる場所に座っ時、“父の世界の狭さ”を知ってしまう」シーンには、僕たちもハッとしてしまうのです。

視線の転換ということで言うならば、次男と彼と獄中結婚する女(田中麗奈)が最後の接見室のシーンで、田中麗奈が他愛もない話を始めると次男が虚を突かれる。その瞬間、ずっと田中麗奈側から撮っていたカメラが稔の方に移るわけですよ。見る側と見られる側が逆転するのです。その時、次男は初めて感情のようなものを見せる。彼は少しは成長したんじゃないか?って解釈もあり得ると思う。

最近、社会で起こった様々な事件を見ると、「◯◯らしさ」から解放された方が人は楽に生きられるんじゃないか?って割と真剣に考えています。この映画で言えば「父親らしさ」「男らしさ」のようなものです。とっくの昔にそういう強い父親像、父権的な家族像なんていうのは成り立たない時代になっているのに、それを受け入れることが出来ない。そこに悲劇がある。でも「◯◯らしさ」を捨てるってことは、別の言い方をするなら「理想を捨てる」ってことだからなぁ〜と迷路に入り込んだりもしてしまうのです。

まあ、ホントに嫌ーな場面ばかりの映画だけど、誤解を恐れずに言うなら、「面白い」作品です。三浦友和さん以外の役者陣の演技も素晴らしい。豊作と言われている今年の日本映画の中でも、特筆されるべき一本だと思います。公開が終わったところが多いけど、近くの映画館でやっていたら、ぜひ観てください。

私たちは「それ」を克服できるのか?

『帰ってきたヒトラー(監督:デビッド・ベンド / ドイツ 116分)

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【あらすじ】
服装も顔もヒトラーにそっくりの男がリストラされたテレビマンによって見出され、テレビに出演させられるハメになった。男は戸惑いながらも、カメラの前で堂々と過激な演説を繰り出し、視聴者はその演説に度肝を抜かれる。かつてのヒトラーを模した完成度の高い芸として人々に認知された男は、モノマネ芸人として人気を博していくが、男の正体は1945年から21世紀にタイムスリップしたヒトラー本人だった。(映画.comより)

最初は戦後70年を経た現代ドイツというのが、ヒトラーの目にはどう映るのか?という普通のカルチャーギャップコメディとしての面白いんだけど、時間が進むにつれて嫌な気分になってくる映画でした。

何が嫌かって、だんだんとヒトラーに親近感を抱き始めている自分がいるんですよ。それはヒトラー役のオリバー・マスッチの演技力もあるし、そもそもこの映画の現代に蘇ったおっさんが本当にヒトラー本人であるという物語内の真実を知っているのがヒトラーその人と、読者とか観客だけなので、構造からしてヒトラーと観客の心情的距離、心理的距離が近くなるのは仕方がないことなんですけどね。まんまとその術中にはまっていく自分にガッカリしたり……。

この映画で面白いのは、フィクションの中に絶妙のバランスでドキュメンタリックに撮られたパートが挟み込まれているところ。タイムスリップしてきたヒトラーが街をさまよったり、ドイツ中を撮影旅行しながら人々と対話したりするシーンは実際に素人さんの前で撮影してるんです。で、彼らはヒトラーをテレビか映画の撮影だと思っているから、不用意に本音を口にするんです。曰く「外国人は騒動の種だ」「収容所に入れて再教育させればいい」サシャ・バロン・コーエンの『ボラット』とか『ブルーノ』なんかと同じ手法です(これらも面白いのので、ぜひ観ると良いですよ)。カザフスタンのジャーナリストに扮したサシャ・バロン・コーエン(この人はイギリス人)がアメリカで様々な人々にアポなし取材する。取材された人は相手が外国人だからと気を許してとんでもないことを口にしてしまう。観客はその不用意さに爆笑しつつも、彼らの発言にはゾッとするんです。

またヒトラー(とその同行者)が極右政党の事務所を訪れる場面も興味深い。そこで「ヒトラー的価値観」で極右の連中をこき下ろすんです。彼らは口ではヒトラーを礼賛しているけど、実は表面的な強さに憧れているだけで、本質的な政治思想については理解していないことが透けて見えてくる。ネオナチなんかは逆にヒトラーを襲ったりするしますからね⁉︎(このシーンがどこまでドキュメンタリーなのかは不明ですが…) でも世間的に右翼と思われている連中がそうだからこそ、一般の人が口にする発言が怖いのです。

もうひとつ、絶対に触れておかねばならないのは、日本の状況と重なって見えたこと。アメリカのトランプ現象やイギリスのEU離脱はドンピシャだけど、日本だって差別発言をする人や自分は愛国者だと声高に叫ぶ人が増えているのは多くを語る必要はないですよね。僕だって映画に出てくるドイツの一般の人と同じように考えてしまう部分が全く無いとは言い切れないのです。

原作が出版された2012年や映画が制作された2015年よりも(わずかな時間しか経ってないのに)状況は悪くなってるし、エンディングとか、ホントに嫌な感じになるけど、それらも全部ひっくるめて「面白い」んですよ。作品が言わんとしているメッセージはわかりやすく、かつ鋭い。今だからこそ観るべき映画です。オススメです!

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くで見ると喜劇である

『日本で一番悪い奴ら』(監督:白石和彌 / 日本 135分)

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【あらすじ】
大学時代に鍛えた柔道の腕前を買われて道警の刑事となった諸星は、強い正義感を持ち合わせているが、なかなかうだつが上がらない。やがて、敏腕刑事の村井から「裏社会に飛び込み『S』(スパイ)を作れ」と教えられた諸星は、その言葉の通りに「S」を率いて危険な捜査に踏み込んでいくが……。(映画.comより)

2002年に北海道警察で起こり、「日本警察史上最大の不祥事」とされた「稲葉事件」を題材に描いた作品。白石監督の前作である『凶悪』がとても良かったので、楽しみのあまり小走りで映画館に行きましたよ!で、スゲ〜面白かった‼︎‼︎

マーティン・スコセッシ監督の『グッドフェローズ』のようなコメディテイストの「実録ピカレスク映画」で、あ〜こんな作品が日本でも作られるんだなぁーと楽しい気分になりましたよ。特に刑事の諸星(綾野剛)とヤクザの黒岩(中村獅童)、運び屋の太郎(YOUNG DAIS)、盗難車バイヤーのラシード(植野行雄)のチーム感が最高!「拳銃を大量に摘発(というか購入)するためにシャブの密売を始める」という展開は、本末転倒にも程があって爆笑してしまいましたよ。でも笑いながら、この話って基本的に事実なんだよなぁ〜と思って、頭を抱えそうになったんです。最終的に覚醒剤に手を出してしまう諸星には情状の余地な無いんだけど、でも結局のところ何でもかんでもノルマを押しつけるシステムなんだよ。「一番悪い奴ら」ってのは警察組織そのものだよなと思ってしまうのです(そもそも犯罪検挙にノルマって…)。「えっ、拳銃、買うんですか?」っていう真っ当な突っ込みで爆笑したり、「えっ、麻薬、いいんですか?」って尋ねても「チャカと覚醒剤、どっちが大事だと思ってんすか?」と返す。それに対して「いや、そういう問題じゃ…」と気の弱そうな上司が言う。「そういう問題じゃ…」って、それは観客のセリフだよ。

でもこれって警察組織に限ったことじゃない。内部では成り立っていているけど、外側からから見ると「それおかしくないですか?」ということに疑問を持っていないという話って誰だって多かれ少なかれあると思うんですよ。だからこの映画はとても普遍的な物語でもあるのです。

「70年代末に金髪のチンピラっているか?」とかピエール瀧さんをもっと観たかった!とか、矢吹春奈さんはちゃんと薬を絶って幸せになってくれると良いなぁ〜とか、ちゃんとオッパイを揉んでる濡れ場が良かった‼︎‼︎とか、オッパイを揉んでる濡れ場が良かった‼︎‼︎‼︎とか言いたいことはたくさんあるんだけど、とにかく日本映画のエンターテイメントとしては、最近ではダントツでしょう。

原作の稲葉圭紹『恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白』(講談社文庫 2016・1)も面白いです。北海道警の悪行が、映画ではむしろ控えめに描写されていたという驚愕の事実を知ることが出来ます。ははは………。

東京ドーム、4億個分。

インデペンデンス・デイ リサージェンス』(監督:ローランド・エメリッヒ / アメリカ  120分)

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【あらすじ】
エイリアンの侵略を生き延びた人類は、共通の敵を前にひとつにまとまり、回収したエイリアンの技術を利用して防衛システムを構築。エイリアンの再来に備えていた。しかし、再び地球を目標に襲来したエイリアンの兵力は想像を絶するものへと進化しており、人類は為す術もなく、再度の絶滅の危機を迎える…(映画.comより)

もっと簡単にあらすじを書くと、「宇宙人が襲ってきて大変だったけど、適当に対策をしたらやっつけたぜ!」って感じです。プロットは勢いで進んでいって論理性はあんまりない。敵の数や大きさは前作よりてんこ盛りで増量、思いついたアイデアは全部入れてます(多分)。

しかしエメリッヒはすごいなぁ〜。映画人としてのキャリアは長いのに、ずっと同じテンプレートで展開する同じディサスタームービーを作り続けてる。これも一種の作家性ってやつなんだろうか?

久しぶりに前作を観返したんだけど、「何かを喪失している男たちが、ヒーローになることでそれを取り戻していく話」で、結構ストーリーが練られてたんだなぁ〜と思ったんですよ。今作ではその辺の作り込みがイマイチで残念でしたね。

反重力の技術を手に入れても、自動車にはタイヤがあるんだなぁ〜とか、「蜂の巣理論」って何だ?とか、クライマックスは「巨大怪獣映画」になるんだ…とか、断片的な記憶はあるんだけど、どんな話だったのか全く思い出せない。世界中が団結し、人々がひとつになろうというメッセージがあった気がします。まぁ、諸々をひっくるめてエメリッヒ印の映画だからいいか⁉︎

でも一番の衝撃は、最後の最後に「字幕:戸田奈津子」というクレジットが出ることだったりする……。